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両親ともに、家に帰りたい病になりました。

今は、父も母も要介護になってしまいましたが・・・。

元気な頃は、『自分が要介護になったら施設に入れて』と何度も言っていた父や母でした。

しかし、実際に介護状態になると違いました。

でも、しばらくするとこれが変わってくるんですね。

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母の家に帰りたい病

母は『要介護になったら、どこかの施設にすぐに入れてね』と日頃から言っていました。

母としても徐々に体が弱ってきて、少しずつ覚悟をしながら施設に入っていくものだと思っていたと思います。

ところが、元気だったのが突然の脳出血で倒れ、一瞬にして後遺症のため右手右足が動かなくなって介護状態になってしまったのです。

心の準備も出来ないままに、日常の自分の事が介助なしでは出来ない状態になってしまいました。

最初は自宅で看ていましたが、24時間、順番で家族の誰かが看ていないとダメで、さすがに毎日自宅で看るのは難しくなりました。

やむなく、ショートステイを少しずつ増やすようになりました。

やはり自宅が良いのでしょうか、施設では『自宅に帰りたい』と言い続ける毎日です。

ひどい日には施設から夜に電話があり、『家に帰りたい』ばかり言われるので、電話で落ち着くようになだめてくださいというような事も何度かありました。

少しずつ慣れていって、ショートステイも2週間で帰ってくるようになっても、あいだで施設に面会に行くと、『いつ帰れるの、帰りたい』と毎回言われるのが続きました。

ショートステイも少しずつ伸ばして、4週間施設にいて自宅に帰るようなペースまでなりましたが、それでも面会に行くと『家に帰りたい』ばかり言っていました。

家に帰りたい思いがすごく強かったのでしょう。

約5年間は、ずっと自宅に帰りたいという思いは続きました。

母の思いが変わった

施設での生活に慣れてしまい、自宅に帰るのにも車に長く乗って移動するのも苦痛に感じるようになったのでしょうか。

面会に行っても自宅に帰りたいと言わなくなっていました。

自宅に帰っているときに、ここと施設とどちらが良いかと尋ねると、『施設の方が良い』と答えるまでに変わっていました。

父の家に帰りたい病

父も『自分が要介護になったら施設に入るから』と言っていました。

父の場合は段々と体の動きが悪くなっていったので、少しずつ心の準備してきたと思います。

しかし、かなり体の動きが悪くなって、だんだん介助がないと生活出来ない状態になってきたのですが、施設には入りたくなく自宅で過ごしたいという意思を見せ始めました。

私も自宅で看てあげることができるなら、そうしたかったのですが、トイレに行くのにすべて介助しなければならなくなってからは、自宅介護は不可能だと感じました。

24時間監視して、夜中もトイレの介助をするのは限界です。

介護の父が何回も夜中にトイレに行きたがり、寝れません!

少しずつショートステイの日程を伸ばしていくのですが、携帯電話で『わしは、いつ家に帰れるかいな』と施設にいる間、毎日のように電話してくるようになったのです。

『これこれこうゆう訳で、次に帰るのは○日後だよ』と説明すると、一応納得をしてくれるのですが、また次の日にはいつ帰れるかの電話があるんです。

父の思いが変わった

そんな状態が続いたのですが、父の場合は割と早く自宅にいるより施設の方が良いと思ってくれるようになりました。

自宅では、施設ほど色々なことをしてあげることが出来ないし、特に夜中のトイレ介助もすべて対応することが難しいからです。

夜中のトイレ介助については、深夜に1~2時間おきにトイレ介助をする必要があるので、介助する側も疲れて、親子喧嘩に発展する場合もあるので、父も施設の方が良いと思うようになったのかも知れません。

両親とも同じ様な経過をたどり・・・

両親の『家に帰りたい病』は、父も母も期間が長い短いの違いはあっても、同じ様な経過をたどりました。

やはり自宅で暮らすのが一番だと思っているので、要介護になったら施設に入ると言っていても、実際に介護状態になると自宅に帰りたいという本音が出てしまうのです。

しかし、それは年月が解決してくれて、いづれは移動するのもつらくなって、施設にいる方が良いと思うようになるようです。

一番良いのは、健康なままで自宅で一緒に暮らしてくれるのが良いのですが、遅かれ早かれこのような事態にはなると思われます。

自分も介護状態になったら施設に入れてもらえればと今は思っているのですが、実際介護状態になったら父や母と同じようになるかも知れませんね。

 

 

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