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とぶさんの転職歴、どうして転職を3回もすることになったのか?

  • 2019年12月17日
  • 2020年12月29日
  • 仕事
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とぶさんは、色々と転職をしてきましたが、どうして転職してこれたのでしょうか?

最初に入った会社で定年まで勤めるのが普通だと思っていたので、まさかこんなに仕事を変えるとも思っていませんでした。

転職するにはかなりの労力が必要となるし、大きく環境も変わるので、とぶさんとしては自分から好んで転職した訳ではないのですが、結果的に転職することになりました。

転職すると決めた時の心の状況を加えながら、転職のいきさつを語ってみます。

 

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とぶさんの思いは?

大好きな地元で、家族仲良く暮らしていきたいという思いから、何度かの転職をすることになりました。

最初の仕事が一番自分に合った仕事だったかも知れません。

地元で暮らしたいので地元の企業に入って、自分のしたいと思っていた仕事ができていたので、充実した日々でした。

銀行のシステムのプログラマーだったので、ひたすら自分でプログラムを作ることに専念できたのは、引きこもりな自分にとってはピッタリの仕事でした。

残業も多く、銀行のシステムに異常が起きると新聞沙汰になることもあり、責任の重さも感じながら大変さもありましたが、システムの職人としてやりがいのある仕事だったのです。

残念なことにその業務を続けるには、全国展開している会社に転籍しなければならないことになり、いつ地元に戻れるかわからなくなりました。

 

最初の転職

どうしても地元で暮らしたかったこともあり、実家の近くにある食品会社に転職することに決めました。

転職を決めた時はまだ独身だったので、自分ひとりの決断できめましたが、両親からは地元で生活を続けられるので喜ばれました。

元銀行員といっても18年プログラム開発しかしたことがないので、全く畑の違う食品会社でやっていけるのか不安はたくさんありました。

田舎の中小企業なので、他の人々は部署の異動や支店への転勤を拒否する人も多かったのですが、とぶさんは言われるがまま異動を受け入れ、その部署で全力で働きました。

地元で頑張るという思いのままいろいろな部署を短期間で回り、総務・経理から始まって、人事、営業、製造と部署をわずか5年の間に担当することになりました。

この会社に定年まで勤める覚悟でいたので、とにかく会社をよく知って学ぼうという気持ちで取り組みました。

色々な部署を経験するのは、慣れたり覚えたりするのが大変ですが、とてもうれしいことでした。

人間関係から転職に発展

最後にいた製造の部署では直接の上司の言うことに一貫性がなく、その都度言うことが変わるので方向性に明らかな違いが出てきました。

私は納得が行かない上司の指示は、部下に伝えなかったので、そうなると上司は私を飛び越して直接、部下に指示するようになり、私と上司との対立が始まりました。

だんだんと上司との人間関係もうまくいかなくなって、体調が悪い時期とも重なってうつ状態になってしまいました。

そして、明るい未来が見えない状態で仕事を続けるのは、限界だと考えるようになりました。

一貫性のないコロコロと言うことが変わる人や、周りに気が配れない人の下では働きたくないという気持ちから、転職したいと思い始めたのです。

会社に行くだけで拒否反応が出て、体が不調になっていくのは耐えられない状況でした。

そんな時、別の会社から誘いがありました。

ある健康保険組合からですが、全国に支所があるので転勤のことが気になりましたが、気持ちを切り替えて新しい職場で仕事をしたかったので、誘われるままに転職することになりました。

のちのち、この転勤のことがさらに転職につながっていくのですが・・・。

嫁は私のうつ状態が改善されるならと、転職を快く賛成してくれました。

この時点ですでに45歳であったので、転職はもうしないだろうと思っていました。

この健康保険組合で定年まで勤める覚悟をしていました。

 

さらなる転職が・・・

今までが中小企業で働いていたのに、健康保険という公的な仕事のため、どちらかというと公務員に類似する職場でした。

全くやったことのない種類の仕事と、公務員的な考えが必要だったので、最初は中々なじむことが出来ませんでした。

その上に、新しく覚えることが多いのと、担当部署が1年ちょっとですぐに変わるために、環境の変化についていくのがやっとでした。

しかし健康保険組合では、職場での人間関係がとてもスムーズだったので、仕事も慣れてくると働きやすい職場だと思えるようになってきました。

仕事は仕事として精一杯やっていましたが、退職後のことを考えてインターネットビジネスに関心があったので、少しずつ勉強していました。

行き帰りの通勤電車の中や、1時間早めに会社に行って始業までの時間、土日の空いた時間にはネットを検索しては、情報収集をしていました。

 

母の介護が始まる

健康保険組合に働きだして3年目に母親が脳出血で倒れ、その後の後遺症で右半身が動かなくなり介護状態に。

父親も元気で母の介護が可能であったし、私の嫁も協力してくれたので、しばらくは会社を辞めずにすんでいました。

ところが父親がガンになり入退院を繰り返し、父・母ともに介護状態になると嫁一人では介護しきれなくなりました。

私の仕事の帰りが遅いので、両親の介護も平日はあまりできなくて、土日に出来るぐらいだったので、嫁の介護負担を少なくすることが出来ずに、ケンカが多くなりました。

このまま両親の介護で嫁に一番負担をかけ続けると、嫁がストレスで不満がたまり、夫婦関係が悪化していくのは時間の問題でした。

もしかすると、これが原因で離婚になるのかとも考えました。

外での仕事を続けても夫婦仲が悪くなるのでは耐えられないと感じ始めていました。

加えて転勤の話を何度も介護を理由に断ってきたのですが、断りきれない状態になっていました。

基本的に誰でも1度は転勤を経験するような社風の中で管理職でありながら転勤をしていないのは自分だけになっていたので、転勤を受け入れるしかありませんでした。

両親の介護があるので転勤など出来るわけがありません。

今まで色々な仕事を転職して、何とかやってこれたので、これからも何とかなると思って、両親の介護を主体的にするために、サラリーマンを辞めることを決意しました。

 

インターネットビジネスをやることに

本当は、定年退職後に始めようと勉強をし始めていたインターネットビジネスをするしかないと考えました。

介護をしながら仕事をしていくには、ネットビジネスは非常に向いています。

好きな時間に好きな場所でやりたいだけ出来る仕事だからです。

場所と時間を選ばないで出来る仕事なんてそんなにありません。

しばらくは独力でやってみようとしましたが、うまくいかずサイトアフィリエイトを教えてくれる塾に入ることにしました。

ネットビジネスをするには、今までのサラリーマン時代の考え方と違う考え方を理解しないと、すぐにあきらめてやめてしまうことになります。

塾ではそのマインドを勉強することが出来たのである程度の成功を収めることができたと思います。

マインドが変わらないとネットビジネスをしては失敗します。

サラリーマンとネットビジネスの大きな違い

サラリーマン時代は、働いた時間がきちんと時給に換算して報酬がもらえます。

ネットビジネスの場合、収益が発生する仕組みを作り上げるまでは、どんなに長時間がんばっても1円にもなりません。

これだけの時間がんばって働いたにも関わらず、何ヶ月もほとんど報酬が無いなんてことは、ネットビジネスを始めると当たり前のようにあります。

多くの人が、その感覚に耐えきれずネットビジネスを諦める人が多いのも現実です。

とぶさんは、サラリーマンの副業としてネットビジネスを始めた訳ではなく、これで成功するしかないと思ってやってきたので、長く報酬が発生しなくてもめげずにやり抜くことが出来ました。

どうして3回も転職することになったのか

転職した理由は、地元で家族仲良く生活をしたかったということに尽きると思います。

会社で出世しても家庭がうまくいかなければ、仕事をしている意味がありません。

父、母、嫁とのむつましい生活、これを実現するために仕事を替えてきたんだと思います。

仕事に専念するあまり、家庭を崩壊させてしまう人も多いので、明るい家庭を最終的にはとることができたのは幸せなことでした。

とぶさんは、この思いを貫くことができたので、数々の転職も乗り越えることができたと思います。

 

 

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